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'''呉 智英'''(くれ ともふさ、[[1946年]][[9月19日]] - )は、[[愛知県]][[清須市]]出身の[[評論家]]、[[漫画]]評論家、[[日本マンガ学会]]会長。[[ペンネーム]]で、本名は'''新崎 智'''(しんざき さとし)。[[封建主義]]者を自称し、狂信的な差別主義者、民主主義や人権概念への批判者として知られる。読みは「ご・ちえい」でも可としている。1946年生まれは確かだが、個人データを勝手に占いに使われるのを嫌い、生まれた月日や血液型を公表しておらず、10月21日生まれの説もある。
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'''呉 智英'''(くれ ともふさ、[[1946年]][[9月19日]] - )は、[[愛知県]][[清須市]]出身の[[評論家]]、[[漫画]]評論家、[[日本マンガ学会]]会長。[[ペンネーム]]で、本名は'''新崎 智'''(しんざき さとし)。[[封建主義]]者を自称する差別主義者。民主主義や人権概念への批判者として知られる。読みは「ご・ちえい」でも可としている。1946年生まれは確かだが、個人データを勝手に占いに使われるのを嫌い、生まれた月日や血液型を公表しておらず、10月21日生まれの説もある。つくる会教科書の支持者である。
  
 
== 経歴 ==
 
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愛知県[[西枇杷島町]](現・[[清須市]])生まれ。[[東海中学校・高等学校|東海高校]]を経て1971年に[[早稲田大学]][[法学部]]を卒業。学生時代は学生運動で[[新左翼]]の一員として活動し、[[日本共産党]]の党派性を批判した。学費値上げなどを巡るストライキで起訴、[[1969年]]に執行猶予つきの有罪判決を受けた。友人の始めたコンピュータ会社などの勤務を経て、文筆業に入る。
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愛知県[[西枇杷島町]](現・[[清須市]])生まれ。[[東海中学校・高等学校|東海高校]]を経て1971年に[[早稲田大学]][[法学部]]を卒業。学生時代は学生運動で[[新左翼]]の一員として活動し、[[日本共産党]]の党派性を批判した。学費値上げなどを巡るストライキで起訴、[[1969年]]に執行猶予つきの有罪判決を受けた。友人の始めたコンピュータ会社などの勤務を経て、文筆業に入る。後に転向し、つくる会に参加。現在も中国を支那と呼び続けている。
  
 
[[1981年]]に初の単著となる『封建主義、その論理と情熱』(後に『封建主義者かく語りき』と改題)を[[情報センター出版局]]から刊行。これは当時一般に信じられていた[[民主主義]]や[[人権]]論の矛盾を追及し、脱却する道として[[封建主義]]を提唱する内容だった。
 
[[1981年]]に初の単著となる『封建主義、その論理と情熱』(後に『封建主義者かく語りき』と改題)を[[情報センター出版局]]から刊行。これは当時一般に信じられていた[[民主主義]]や[[人権]]論の矛盾を追及し、脱却する道として[[封建主義]]を提唱する内容だった。
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西池袋に長く住んだが、[[1999年]]、父親の介護のため、愛知県に転居した。その父親は、[[2006年]]1月に亡くなったが、現在も同所に居住中である。
 
西池袋に長く住んだが、[[1999年]]、父親の介護のため、愛知県に転居した。その父親は、[[2006年]]1月に亡くなったが、現在も同所に居住中である。
  
呉の民主主義批判の影響は大きく、40代の評論家に最も尊敬されている知識人とされ、弟子として[[浅羽通明]]、[[大月隆寛]]、[[宮崎哲弥]]などがいる。[[小谷野敦]]も呉を尊敬していると公言している。
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呉は民主主義批判を続けており、右翼の弟子としては[[浅羽通明]]、[[宮崎哲弥]]、元つくる会の大月隆寛どがいる。[[小谷野敦]]も呉を尊敬していると公言している。中野翠、小林よしのりも考え方が近い。
  
 
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*[http://www.geocities.jp/pchchk/ 論語講座「以費塾」]
 
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*[http://homepage.mac.com/statictext/fuzi/fuzi.html All About 呉智英]
 
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呉 智英(くれ ともふさ、1946年9月19日 - )は、愛知県清須市出身の評論家漫画評論家、日本マンガ学会会長。ペンネームで、本名は新崎 智(しんざき さとし)。封建主義者を自称する差別主義者。民主主義や人権概念への批判者として知られる。読みは「ご・ちえい」でも可としている。1946年生まれは確かだが、個人データを勝手に占いに使われるのを嫌い、生まれた月日や血液型を公表しておらず、10月21日生まれの説もある。つくる会教科書の支持者である。

経歴[編集]

愛知県西枇杷島町(現・清須市)生まれ。東海高校を経て1971年に早稲田大学法学部を卒業。学生時代は学生運動で新左翼の一員として活動し、日本共産党の党派性を批判した。学費値上げなどを巡るストライキで起訴、1969年に執行猶予つきの有罪判決を受けた。友人の始めたコンピュータ会社などの勤務を経て、文筆業に入る。後に転向し、つくる会に参加。現在も中国を支那と呼び続けている。

1981年に初の単著となる『封建主義、その論理と情熱』(後に『封建主義者かく語りき』と改題)を情報センター出版局から刊行。これは当時一般に信じられていた民主主義人権論の矛盾を追及し、脱却する道として封建主義を提唱する内容だった。

漫画にも造詣が深く、水木しげるの資料整理のアルバイトを1970年から10年ほどしていた。1973年に『ガロ』誌上で「劇画列仙傳」の連載を開始。1986年には漫画研究の集大成として情報センター出版局から『現代マンガの全体像』を刊行した。出版情報誌『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)に「マンガ狂につける薬」を連載中。ただ少女マンガは苦手のようで、あまり取り上げない。

論語聖書を愛読し、これらから近代批判の思想を読み取っている。1988年に都内で論語を講義する公開講座「以費塾」を後輩の評論家浅羽通明の手配で開始。月2回、第2、4金曜日に講義がおこなわれ(但し、8月は大学生の夏休みを考慮し休講)、23回前後で論語を通読する内容。2005年9月9日より始まった第14期が最終講義となり、2006年12月22日、終了した。2003年に刊行した『現代人の論語』(文藝春秋)にて、その講義内容の一端を読むことができる。

西池袋に長く住んだが、1999年、父親の介護のため、愛知県に転居した。その父親は、2006年1月に亡くなったが、現在も同所に居住中である。

呉は民主主義批判を続けており、右翼の弟子としては浅羽通明宮崎哲弥、元つくる会の大月隆寛どがいる。小谷野敦も呉を尊敬していると公言している。中野翠、小林よしのりも考え方が近い。

エピソード[編集]

  • 独身である。常に上機嫌。メガネをかけた女が好き。糖尿病をわずらっている。野球と占いが嫌い。腕時計収集が趣味。歌手、中島みゆきの熱狂的なファン。
  • ハゲであり、ハゲに関する座談会にも数回参加している。
  • 漫画評論家としては、60~80年代の少年漫画や青年漫画を中心に評論してきたが、90年代以降の多様化した漫画作品には対応できていないようで、的外れな評論をして一部で失笑を買っている。特に人気作品である「クレヨンしんちゃん」に関してはまったく理解不能として評価しておらず、ダ・カーポ誌上で「なんであんな作品が人気があるのかさっぱり判らない」、「あの作品に人気がある事にイライラさせられている」と発言している。
  • 学歴に関する話が大好き。呉自身は早稲田大学卒だが、「東大は偉い」が持論。
  • 漫画家、小林よしのりの漫画「ゴーマニズム宣言」にたびたび登場し、知名度が上がった。
  • 支那という呼称を使っていけない理由はないと長年主張しており、これを自主規制するマスコミへの抵抗の意を込めて、常に支那と書いている。ために多くのマスコミへの寄稿を困難にしているが、主張を貫いている。近年は毎日新聞紙上で支那を使用したが、抗議は来なかったとのことである。
  • 本人の弁によると、学生運動では「軍人の位で言うと大佐ぐらいだった」とのこと。当時の呉の風貌は宮崎学の『突破者』(南風社、1996)に鮮やかに描かれており「美青年」とされている。
  • コラムニストの中野翠とは早大の同級生で友人。
  • 2006年11月26日付の産経新聞で、いじめ問題について「被害者が自ら死を選ぶなんてバカなことがあるか。死ぬべきは加害者の方だ。いじめられている諸君、自殺するぐらいなら復讐せよ。死刑にはならないぞ。少年法が君たちを守ってくれるから」と発言し、物議を醸した。この発言は「死刑を廃止して仇討ちの復活を」という、呉のデビュー以来一貫した主張に基づくものといえる。
  • 現在居住している自治体が、2000年東海豪雨を教訓に毎日夕刻に実施している防災無線のテスト放送に対し、「毎日テストする必要はなく、静かな生活を侵害された」として中止を求める訴訟を起こしたが、2005年最高裁で敗訴が確定した。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『封建主義 その論理と情熱』(情報センター出版局、1981、改題して『封建主義者かく語りき』、史輝出版、1991、さらに双葉社、双葉文庫、1996) ISBN 4575710776
  • 『インテリ大戦争』(JICC出版局、1982、後にJICC出版局、宝島ブックス版、1984)
  • 『読書家の新技術』(情報センター出版局、1982、のち朝日新聞社、朝日文庫、1982) ISBN 4022604697
  • 『マンガ家になるには 新版―付・アニメ作家 なるにはBOOKS』(ぺりかん社、1983)
  • 『大衆食堂の人々』(情報センター出版局、1984、のち双葉社、双葉文庫、1996) ISBN 4575710784
  • 『現代マンガの全体像』(情報センター出版局、1986、のち「増補版」として史輝出版、1990、双葉社、双葉文庫、1997) ISBN 4575710903
  • 『バカにつける薬』(双葉社、1988、のち双葉文庫、1996) ISBN 457571075X
  • 『サルの正義』(双葉社、1993、のち双葉文庫、1996) ISBN 4575710768
  • 『知の収穫』(メディアファクトリー、1993、のち双葉社、双葉文庫、1997) ISBN 4575710911
  • 『言葉につける薬』(双葉社、1994、のち双葉文庫、1998)ISBN 4575711101
  • 『賢者の誘惑』(双葉社、1995、のち双葉文庫、1998) ISBN 4575711276
  • 『マンガ狂につける薬』(リクルート、1998) ISBN 4889915478
  • 『危険な思想家』(メディアワークス、1998、のち双葉文庫、2000) ISBN 4575711772
  • 『ロゴスの名はロゴス』(メディアファクトリー、1999、のち双葉文庫、2001) ISBN 4575711993
  • 『ホントの話』(小学館、2001、のち小学館文庫、2003)ISBN 4094055819
  • 『マンガ狂につける薬21』(メディアファクトリー、2002) ISBN 484010543X
  • 犬儒派だもの』(双葉社、2003、のち双葉文庫、2006) ISBN 4575295248
  • 『現代人の論語』(文藝春秋、2003、のち文春文庫、2006) ISBN 4163655700
  • 『言葉の常備薬』(双葉社、2004) ISBN 4575297364

共著[編集]

外部リンク[編集]

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