大本

提供: Yourpedia
2019年3月15日 (金) 21:33時点における臨時のアカウント (トーク | 投稿記録)による版 (原2009 により新規作成)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

大本(おおもと)、大本教(おおもときょう)は、1892年出口ナヲが開教した宗教[1]。大本の教典にあたる『大本神諭』は、開祖・出口ナヲの「お筆先(ふでさき)」(自動筆記)によって書かれたとされている[2]京都府に本部がある[3]

ナヲの養子・出口王仁三郎は、大本では「聖師」と呼ばれた。

1921年には、大本の急速な勢力拡大が反体制運動につながることを懸念した当局によって王仁三郎不敬罪で検挙され、京都地裁で有罪判決を受けた(第1次大本事件[4]

事件の直後から王仁三郎は『霊界物語』の口述を始めた。同書は『大本神諭』と並ぶ大本の教典とされている。同書において、出口出口王仁三郎は、自身をスサノヲ(神素素戔嗚大神)になぞらえている。[5]

1931年の満洲事変の後、控訴中に出口王仁三郎は蒙古へ渡航し、道院紅卍字会)やラマ教シベリア方面の回々教とも提携して外地で勢力を拡大。内地では昭和青年会を組織した。[6]

大本が教義とした「世直し」は国家改造を主張する国粋主義者や陸軍の反現状維持派の軍人から支持を得ていった[7]

1935年12月8日に不敬罪治安維持法違反で王仁三郎ら幹部が一斉検挙された(第2次大本事件[8]

付録

脚注

  1. 原 2009 84-85
  2. 原 2009 84-85,97
  3. 原 2009 171
  4. 原 2009 171-175
  5. 原 2009 84-85,97-98
  6. 原 2009 171-175。松本清張『昭和史発掘 6』(文春文庫、2005)による。
  7. 原 2009 175
  8. 原 2009 175-176

参考文献

  • 原 (2009) 原武史『松本清張の「遺言」 - 『神々の乱心』を読み解く』〈文春新書〉文藝春秋、2009年、ISBN 978-4166607037