天津教

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天津教(あまつきょう)は、竹内巨麿が創始した宗教団体。茨城県多賀郡磯原町北茨城市)を拠点とした。[1]

竹内は、武内宿禰66代の孫と自称し、磯原町の自宅に「皇祖皇太神宮」という神社を建て、様々な古器物を集めて「神宝」と吹聴。特に剣は太古に宇宙から落下した金属「ヒヒロイガネ」でつくられた神宝だと喧伝した。[2]

戦前には不敬罪で、戦後の1950年にはGHQから団体規制令で解散指定を受けた[2]

天津教が古物商経由で後南朝の末裔であることの証拠品を入手したことを聞いた熊沢寛道は、竹内巨麿に宝を返せと迫り、天津教を「邪教」と呼んだ[3]

元憲兵司令官の秦真次が入信し、のち神官になった[4]

皇祖皇太神宮

2009年当時、北茨城市には「皇祖皇太神宮」が残っており、「春季大祭」のとき神宝の特別拝観が行われていた。拝観するには入会金を納めて「神宝奉賛会」に加入し、5万円を支払う必要があったという。[5]

関連作品

  • 松本清張『神の里事件』(『オール読物』1971年8月号)の「豊道教」のモデル[6]
  • 松本清張『火の路』(『朝日新聞』1973年6月16日-1974年10月13日に連載)の「神愛教」のモデル[7]

外部リンク

付録

脚注

参考文献

  • 原 (2009) 原武史『松本清張の「遺言」 - 『神々の乱心』を読み解く』〈文春新書〉文藝春秋、2009年、ISBN 978-4166607037