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'''ライカ'''(本名:来家 恵美子(らいか えみこ)、[[1976年]][[1月24日]] - )は[[京都府]]出身の[[フェザー級]]女性[[プロボクサー]]である。山木ジム所属。[[国際女子ボクシング協会|IFBA]]世界スーパーライト級チャンピオン。元[[女子国際ボクシング協会|WIBA]]世界フェザー級チャンピオン。身長163cm。血液型O型。
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'''風神 ライカ'''(ふうじん ライカ、本名:来家 恵美子(らいか えみこ)、[[1976年]][[1月24日]] - )は[[京都府]]出身の[[フェザー級]]女性[[プロボクサー]]である。山木ジム所属。[[国際女子ボクシング協会|IFBA]]世界スーパーライト級チャンピオン。元[[女子国際ボクシング協会|WIBA]]世界フェザー級チャンピオン。身長163cm。血液型O型。
  
 
なお、リングネームは本名とともに伝説の女子ボクサー「[[ルシア・ライカ]]」にあやかって付けられた。
 
なお、リングネームは本名とともに伝説の女子ボクサー「[[ルシア・ライカ]]」にあやかって付けられた。
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
*[http://www.sweet.jp/raika/index.html 来家恵美子]
 
*[http://www.jwbc.jp/006.html 山木ジム]
 
  
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2011年1月26日 (水) 17:36時点における最新版

風神 ライカ(ふうじん ライカ、本名:来家 恵美子(らいか えみこ)、1976年1月24日 - )は京都府出身のフェザー級女性プロボクサーである。山木ジム所属。IFBA世界スーパーライト級チャンピオン。元WIBA世界フェザー級チャンピオン。身長163cm。血液型O型。

なお、リングネームは本名とともに伝説の女子ボクサー「ルシア・ライカ」にあやかって付けられた。

来歴[編集]

幼少期[編集]

1979年から高校卒業まで養護施設で育つ。高校時代に漫画『はじめの一歩』を読んでボクサーに憧れる。

下積み時代[編集]

1998年8月に近所のボクシングジムに入門。1999年に上京し山木ジムに移籍。2000年5月8日、北沢タウンホールで大沼慶子を2RTKOで下し、プロデビューを白星で飾る。

2002年1月、自伝「私は「居場所」を見つけたい」を新潮社から刊行。

2002年2月3日に北沢タウンホールで行われた「日本女子ボクシング協会ダブルタイトルマッチ Fighting Girls Part1」に出場。日本初代女子フェザー級王座決定戦で菊川未紀(フェザー級2位)を10R判定3-0で下し初代女子フェザー級王者になる。

2002年4月29日には初国際戦を経験。現役世界王者のレイラ・マッカーター(アメリカ / IFBA世界フェザー級王者)を相手に判定0-2と善戦するも敗れる。

2002年9月7日に世界ランカーのベネット・ローレン(オーストラリア / WIBA同級世界5位)と対戦。2R0分27秒でセコンドがタオル投入したためTKOで勝利。

世界王座獲得[編集]

2002年12月18日代々木競技場第2体育館で行われたWIBA世界フェザー級タイトルマッチ(2分10R)でシャロン・アニオス(オーストラリア / 王者)に挑戦。10R判定1-2で辛くも世界王座を手に入れる。

2003年11月30日に初防衛戦を行い、シャロン・アニオス(同級1位)と再戦。10R判定2-0で下し、世界王座の初防衛に成功。

2004年5月23日東京六本木ヴェルファーレで、シェルビー・ウォーカー(アメリカ)を相手に2度目の防衛戦を行う。2RTKO勝ちし防衛成功。

2004年9月18日、京都の京都府立体育館で行われた3度目の防衛戦で、ミッシー・フィオレンティーノ(アメリカ / 同級世界4位)を10R判定3-0で下し防衛成功。

その後、タイトルを返上し1階級上のスーパーフェザー級に転向。2005年3月13日に東京の六本木ヴェルファーレで行われたWIBA世界スーパーフェザー級王座決定戦に出場。チーベル・ホールバック(アメリカ / 同級世界2位)に10R判定3-0で負け王座獲得失敗。

再び世界王者に[編集]

さらに2階級体重を上げると、2006年5月20日に韓国の井邑国民体育センターで行われたIFBA世界スーパーライト級王座決定戦に出場。ジュン・ウォンミン(韓国)に判定0-3で勝ち新王者になる。

2006年12月15日、SHINJUKU FACEの「女拳闘士・最強祭」にてテリー・ブレアー(米国)とのWIBA世界ライト級王座決定戦に臨み3-0の判定勝利、三階級制覇を成し遂げた。

2006年12月、WBCFスーパーフェザー級2位となる。

2007年4月13日カナダエドモントンにて、ジェリーナ・マジョーナビッチとのWBCFスーパーフェザー級選手権試合に挑むが、大差の判定負けに終わる。

2007年11月10日、自主興行「風神見参 ライカタイフーン」を開催し、アン・マリー・サクラートとWIBA世界ライト級防衛戦を行う予定。この興行のポスターは『はじめの一歩』作者の森川ジョージが描いた。

戦績[編集]

19戦(6KO)16勝2敗1分

世界戦成績
  • 2002年12月18日 - シャロン・アニオス(オ-ストラリア)戦、○判定
  • 2004年5月23日 - シェルビー・ウォーカー(アメリカ)戦、○2Rテクニカルノックアウト
  • 2005年3月15日 - チーベル・ホールバック(アメリカ)戦、●判定
  • 2006年5月20日 - Jung Won Min(韓国)戦、○判定
  • 2006年12月15日 - テリー・ブレアー(アメリカ)戦、○判定

獲得タイトル[編集]

  • プロボクシング
    • 初代日本女子フェザー級王座(0度防衛)
    • 第2代WIBA世界フェザー級王座(3度防衛)
    • IFBA世界スーパーライト級王座
    • WIBA世界ライト級

関連項目[編集]

外部リンク[編集]